COLOUR POPが届いた!

大学院に入ったくらいからお化粧が好きになってお化粧品を少しずつ買うようになった。いまはSNSでいろいろな人のおすすめのコスメがさかんに語られる時代で、わたしもそういったものを見て情報を得るし、それこそこのあと書くCOLOUR POPなんてSNSがなければわたしが手に取ることもなかったと思う。しかし、SNSで美容行為がさかんに語られることにはどのような意味があるのかと思う。コスメや美容医療や筋トレ法がたくさんの人によって称揚され拡散されることは、「身体の可塑性」を繰り返し強調するものだと思う。ボードリヤールがいまの時代は車なんかよりも肉体にみんな魅了されるしいちばんの消費トピックであるというようなことを言っていたのも、いまのSNSを見ると納得する。あとは、車や服だと高価なものになればなるほど匿名性が損なわれるけど、コスメはいくら高くなっても匿名性が保たれるのもインターネットで話題にしやすい一因かなと思った(もちろん顔を出しているアカウントはその限りではない)。で、話を戻すと、肉体は魅力的なトピックだし、さかんに語られるに足るトピックであることはまちがいないけれど、まるで「身体は自分の努力次第でいかようにも加工できて、そのことは福音である」と言われているようでわたしにはときどき居心地が悪い。身体を自分でいかようにも加工できるのはたしかに一部の人にとって福音であるかもしれないが、加工するための手段がたくさん提示されていることで、「加工しない」を選びづらい世の中になっている。女性だけがお化粧をしている理由についても時々考えてしまう。「女性だけが今日化粧をしている理由は実は女性が男性に対して位置低くおかれているといふ屈辱の傷跡である」と大和勇三という人が言っていて、特に付け加えることはない。それがたとえ「屈辱の傷跡」であっても、父権社会の象徴であっても、いま自分がしているお化粧に自分で新たな意味づけをすればいい話であり、実際わたしはお化粧することとお化粧した自分の顔が好きで自分だけのためにお化粧をしていると思ってるけど、しかし自分がいつのまにか「自然に」お化粧を始めたことに関してはやはりむかつく。というかうまい落としどころを見つけられない。自分が装うことに他人からどのような意味づけをされそれに対して自分がどう思うか、という段階はわたしはもう通りすぎてどうでもいい(半年くらい前は怒っていた)。

 

という話をしたあとに購入したカラーポップの話をするのは情緒不安定ぽい。うまい落としどころを見つけられてないけどコスメとお化粧は好きなので。。。年末に注文して年明けに届いたカラーポップの注文リストを記録も兼ねて載せます。いちばん楽しみにしていたCome and Get Itをきょうさっそく使ったんだけど、めちゃくちゃかわいかった! こうして一覧で見るとなんだか似通った色ばかりだけど、まぶたにのせるとまた発色が違ったりするから、これから少しずつ使うのが楽しみ!

 

 

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