2/1/19

 

きょうは予定が突然変更になって、東京駅近辺で3時間強ほど待機しなければいけなくなってしまった。美術館にでも行こうかと思ったけど、三菱一号館美術館の展示はいまはいいかなという感じ・寒いから上野まで出たくない・寒いから出光までも歩けない ということで近くで本を買ってどこかで読むことにした。KITTEの近くにいたからKITTEの本屋さんでなにか買うことにした。小説を読みたくて文庫本の小説のコーナーを見たのだけどいまいちで、それならと思って料理とか食べ物の本のコーナーを見ていたら、お店の人たち(1人はふだんここで働いてるぽい人、もう1人はたぶん現場にはふだんいないお偉いさん的な人)が、「OLさんにはやっぱりこういうのがうけますよね〜」的なことをわたしのすぐそばで言っていて、そのコーナーにいたわたしの存在をふまえて言っていたのかはわからないけど、すこし苛立った。わたしは料理本も好きだけど、そもそもいまは小説を買いたくて、それなのにそちらの小説コーナーが充実してないから、料理本のコーナーにいるのですが……。あとこの出来事で、商売って消費者の属性ありきで議論を展開していくというか、「OLはこうだから」「男はこうだから」みたいなステレオタイプをもとにあれこれやっていくんだろうなってあらためて思って、4月からの仕事がすこし憂鬱になった。

話を戻して、そのあととりあえず単行本の小説のコーナーに行った。気になっていた『82年生まれ、キム・ジヨン』を手にとって数ページ見てみたのだけど、いまのわたしにこれを読む体力はないなと思った。このあいだ『コンビニ人間』を読んだときも思ったんだけど(こちらは最初から最後まで読んだ)、現実の実生活においてすでに直接的な表現にさらされつづけているので、それと似たような直接的な表現を本で読むと、現実と本を重ね合わせてしまってダメージが増幅されるというか。本を読んで実体験を連想して、その思い出にいちいち苛立ったり悲しくなったりして疲れる。でも、問題意識を同じところに持っているという人がいるという安堵を得られるのはありがたい。それで、結論として、主題にはもちろん関心があるし本の存在に感謝もしてるけど、わたしはそういうのを読むのに(少なくともいまは)向いていないから、無理して読まなくていいということにした。作品のよしあしにかかわらず、現代社会をモチーフにした文学が苦手なんだろうと思う。

最終的に『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(河出文庫、2018)を買ってスタバで読んだ。

 

人間は、3つのありようで生きる。それは、思考することによって、観照することによって、行為することによってである。宇宙にあるものは、この3つのありように照応すると考えるならば、真、美、善について考えることになる。とりわけ、美と善について考察するならば、人間は一であるので、美と善が完全に分かたれているとは考えられないであろう。だがこう考えることはすぐさま打ち砕かれてしまう。というのも、(後略)

(「美と善」/シモーヌ・ヴェイユシモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』今村純子訳、河出文庫、2018、p.30.)

 

神殿を美しいと認めるのは、「わたしは神殿ではない」と考えることによってである、というのも、わたしが神殿のうちに認める調和とひとつになるとは、最初に沸き起こる美的感情にほかならないからである。だがこの最初の感情は眠りである。「わたしは神殿ではない」ではないと言うことは、神殿をそれ自体で、わたしなしに完璧であると、すなわち、美しいとみなすことである。したがって美しいものはわたしたちを自由へと誘う。なぜなら、神殿はわたしたちを拒み、わたしたちに神殿を拒むよう誘うからである。だがそのいっぽうで、わたしたちが美しいものを美しいとみとめるのは、美しいものからわたしたちを引き離すという行為によってのみである。わたしたちは神殿を拒む。そしてそうすることによってわたしたちは、あらゆる対象を、わたしたちのうちなる対象を、すなわち、わたしたちの情念や感情や思考を拒むことを学ぶ。こうしてわたしたちの生は美しくなり、神の象徴となる。わたしたちの情念もまたそうである。カトリシズムがはっきりと見抜いたように、わたしたちの罪もまたそうである。こうして、自分自身の情念を美しいと強く感じない人間は眠りのうちにいる。わたしたちが神へと向かうときはつねに、拒むという働きのなかで、(後略)

(同前 pp.66-67.)

 

 

これというキーセンテンスが存在するわけではなく、流れるように文章がつづいていくから、抜粋するのが難しい(本当は別の箇所を引用したかったけど、それは長すぎた)。語られていることが正しいのかはわからないけど、読んでいて楽しい文章。解題を読んだら、この論考をアランが「とりわけ優秀」であると評価したとあって、アランに詳しくないけどアランが評価しているということにものすごく納得した。1年くらい前にnoteでアランの文章を引用した気がするのだけど見つけられなかった。noteは自分の記事内を検索する機能がないから不便。なにかいいブログサービスないかな。