2/14/19

 

わたしは現実の世界から離れたくてジャニーズに傾倒していたけど、アイドルも人間だし現実から逃れることは所詮無理なのかもしれない。ジャニーズアイドルのことをファンタジーとして楽しみたいのに、最近はリアリティばかり見せつけられる。もっとも、アイドルばかりに責任(?)があるのかというとそうではなく、インタビュアーが「好きな女の子のタイプは?」「家事のできない女の子のことどう思う?」みたいな質問をしなければ、わたしが悩む頻度は3分の1くらいになるのかもしれない。好きな女の子のタイプは料理ができる子!と言われると、その発言者を嫌いになるというより社会を嘆いてしまう。だって料理ができる女の子が好きっていうのは脈々とつづいてきた価値観であって決してその子が自発的に抱いた欲望*1ではないわけだから。この社会は、いまだにこういう価値観を再生産しつづけていて、それがこうやってわたしより年下の子にも受け継がれているのだなあと思うと社会を憂うほかない。ということを考えながらたまたま解体していたanan2160号の二宮和也さんのインタビューに、「Q. 料理上手な女性って?」「A. 素敵だとは思いますよ。ただ僕は、女性だから料理できないと、とは思わないかな。男の方が作ったっていいし、どっちも苦手ならば外食だっていいと思うし」とありました。こういう回答をさらっとできる二宮さんは賢い人だ。二宮さんの本心を特別疑ってるわけではないというのを前置きとして、本心はどうあれこういう回答をできる人を追うならば、わたしはジャニーズをユートピアとして心の拠り所にしつづけられるのかもしれない。本来ならこういう発言がファンタジーではなく現実的な、当たり前のものであるべき/そもそもこのような質問はタブーであるべき、というのは前提として。でも、パフォーマンスで好きになる→その子の発言も気になって読むようになる、というのがわたしの順番なので、発言の内容で好きになる子を選べるわけではないのですよね。ていうかやっぱりその子ひとりにパフォーマンスも完璧な発言もなにもかもを求めてるわけでは決してなく、ただ好きな子のインタビューを読んで社会に絶望するプロセスをもうやめたいというだけ。じゃあインタビュー読まないで踊るところだけ見てろよって話なんだけど、インタビューだってやっぱり読みたいじゃんというジレンマ……。

 

「暇」は、やっぱり人の精神に害を与えるのではないかと思う。会社に勤めはじめたらこういうことを考えなくなるのかもしれない。考えなくていい問題だとも思わないけど、この問題についていつまでも考えることはわたしの精神衛生を損ねているとも思う。人間の生活における暇をよしとするかあしとするか、みたいな考察ペーパーが家のどこかにあるはずなので発掘したい。たしかジッドとカミュのテキストをもとにしたものだったかな。

*1:そもそも自発的な欲望なんてものがこの世に存在するのか知りませんが