雑誌ラッシュ

 

ananの表紙すばらしいし、ほんとうにマガハはお写真が素晴らしいですね。ゆうごなんてめちゃくちゃ盛れてる。テキストも読んだのだけど、今回のananで北斗くんって雰囲気でしか言葉をつかってないよなって思った。またこういうことを書くと、北斗くんのテキストについて否定ばかりしてる人みたいで我ながらいやなんですけど、でもこれはいまさらながら大きな発見だったのです。ニュアンスでかっこつけて言葉を紡いでいるけど、それがうまくかみ合っていないのですよね。あと前後の文が接続詞でつながれるとき、論理的に正しくないことがたまにある。北斗くんはボキャブラリとか表現をそれなりに持っているのだろうけど、それが上滑りしているというのも感じる。同じananのテキストで、じゅりが自分の言葉に対するスタンスを話していて、じゅりは「自分の中にちゃんと落ちてる言葉で喋るということ」を意識しているらしい。じゅりは自分が勉強できないバカだからそうしてるって言ってるんだけど、無知の知に近しいものを感じました。じゅりの文章は読みやすくてわたしは好きです。伝えたいこととボキャブラリがかみ合ってるし。

とはいっても、ananのテキストはインタビューが他人の手によって編集されたものであり、それで北斗くんの言葉についてあれこれ述べるのもフェアじゃないかもと思い(そしてあのjwebだけで判断するのもあれだなと思い)、さけていた東海Walkerに手をのばした。北斗くんの連載エッセイの初回を読むために。読んでみての感想なんですけど、連載エッセイって編集さんのアドバイスとかって入らないのでしょうか。ちょっと抜粋します。「続いて、その衝撃に揺さぶられた者の正体を明かす。だが、忠告しておく。正体を明かすとは言いつつも、初めて聞く名前に違いないだろうが。」というかたまりがあるのですが、これがどうにもわたしにはおかしく感じられて。「だが、忠告しておく」を抜けば筋が通るような気がするのだけど。それか、だが忠告しておくを残したいなら、終わりを「違いないだろう。」にすればいいと思うのです。ほかの人がどう思うのかはわからないけど、わたしには細かい違和感が何箇所かあって、せっかくのエッセイの連載なのだから、担当者の人とかが文章の書き方を教えてくれたらいいのになと思いました。というか、東海Walkerで連載がはじまるときいたとき、なによりも先にそれを期待していた。

ありがたいことに買うべき雑誌が最近多くてあれこれ読んでるのですけど、ジャニオタだから舐められてるのかなみたいな質のテキストもあって。いや、本人たちの話してる内容が薄いのにそれをがんばって膨らませてるんだよとか編集者さんに言われたらそれはごめんなさいなんですけど。でもそれにしたってもうちょっとなんとかなるだろうみたいな! でも結局、写真がよかったら買うしかないのが悲しい……。虚無……。雑誌どんどん高くなるし……。