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わたしはこのあいだものすごく悩んだ上にドルガバのリップを買ったのですが、そのとき、わたしにとっての北斗くんってわたしにとってのドルガバと近しいなと思ったのです。見た目はとても好きだけど、それが内包する思想ゆえに好きだと表明するのは躊躇われる対象。わたしはその思想を容認してるとはとてもじゃないけど思われたくないという気持ちがあるから、折に触れてしつこいくらいに「わたしが好きなのは、北斗くんの見た目だけ」という話をしてしまう。ただ、北斗くんを好きということがどういう思想を容認している人だと思われうるかと考えると、そのように思考を巡らせることができるのはほぼジャニオタだけな気がします。それに比べるとドルガバの思想をわかっている人のほうがはるかに多い、とか思ったけど、ドルガバとレイシズムとの結びつきを常に念頭においている人もそんなに多くないのかもしれません。わたしがドルガバを買っても使っても「この人はレイシズムを容認している!」とはほとんどならないのかもしれない。しかし、北斗くんの写真を買うことにはためらいなんてないのにドルガバ買うのはものすごく抵抗感ある、この違いはなんだろう。